Column
対談
なぜ、ボディポジティブが必要なの?〜 子育てと教育の現場から1
〔スクールカウンセラー:奥山 実穂子さんとの対談〕
ー 子育てと教育の現場から1 ー
学校という現場で思春期の子どもたちに寄り添い続ける
奥山 実穂子(おくやま みほこ)さん
スクールカウンセラー・公認心理師・臨床発達心理師
2004年からスクールカウンセラーとして活動。
東京など関東地方の小中学校、高校で日々、児童・生徒たちの相談に乗っている。
スクールカウンセラー制度は1995年からスタートし、現在では全国8〜9割以上の学校が配置(2019年度 文部科学省調査)。東京都では全公立校で毎週4時間以上、スクールカウンセラーが活動している。
奥山さんの勤務する学校の中には、新入生全員がスクールカウンセラーと面談するところもあり、養護教諭などの学校教諭と連携して、特に思春期の子どもたちの心理的ケアに当たっている。
2次性徴で起こる「得体の知れない身体の変化」
これをきっかけに自己評価の下がる子どもが多い
Tarika(以下T) 実穂子さんは、スクールカウンセラーとして20年近く子どもたちの相談に乗ってきたわけだけれど、最近、私たちは子どもの性にかかわる話を、よくしてるよね。性に関する相談は増えているの?
奥山実穂子さん(以下 奥) そういうわけじゃないの。特に中学校、高校で相談に来るのは、女子生徒が比較的多いのだけれど、女子中高生の相談内容は、友人関係や親子関係の悩み、それによる不登校など。なかにはリストカットやオーバードーズなどの重い内容もあります。
それで、彼女たちの話を聴きながら「こういう状態(不調)は、いつ頃から始まったんだろうね?」と深掘りしていくと、月経が始まった頃に重なるケースが多いことに気づいた。初潮前には毎日を楽しく過ごせていたのに、初潮を境に何となく、自分のことをポジティブにとらえられなくなっている。それを彼女らは、「小学生の頃の自分とは変わってしまった」「ダメな自分になってしまった」などと表現します。
なかには言語表現の達者な子もいて、月経の「コントロールできなさ」や、「自分の身体の中からドロッと出てくる気持ちの悪さ」が不快だと。その不快感と、「自分がわからなくなった」「自分が自分ではないような気がする」という感覚が、同時期にあらわれている。
もちろん全員がそうなるわけではないけれど、多くのケースで初潮が、女子生徒の自己評価が変化するきっかけになっている気がします。
T 初潮が、女の子の精神面でのターニングポイントになっているのかもしれない。これは最近の特徴なの?
奥 私自身、タリカさんと出会って話す中で、このことに気づいたくらいだから、以前からそういう傾向があったかは正直わからない。ただ、これは推測になるけれど、以前は親戚のお姉ちゃんやおばさんなどを通じて、女の子は月経や性のことを、ぼんやりながら少しずつ知っていったと思う。それが、核家族化が進んで希薄になり、代わって主要な情報源がインターネットになった。
さらに、友だち同士で性を話題にすることも、ひと昔前と比べて減っている。ひとりでネットから情報を得ている、と話す生徒が、とても多い。
そうなると、月経や性を〝得体の知れないもの〟と感じるのも、わかります。
T 自分自身の人生を振り返っても、初潮の頃から人生の暗闇が始まったし、人生最大の傷もほとんどその時期に受けた気がする。ホルモンの分泌量が急激に増えてバランスが変わるし、身体も心も、ものすごい影響を受けるんでしょうね。この時期にイジメも急増するし、どこか野性的な感覚が宿る。女の子にとって、心身のモードチェンジが起きる時期なのかもしれない。
奥 さらには、大人が月経をネガティブにとらえていて、そういうメッセージを発してしまう問題もある。初潮が来た娘に、「面倒くさいものが始まっちゃったね」と言っちゃうお母さんもいるみたい。私自身は大家族で育って、お赤飯を炊かれたくらいなので驚いたけれど、ああ、今は「面倒なもの」「イヤなもの」という感覚のほうが強いのかもなと思います。
たしかに月経は、野性的でコントロールが利かないという意味では面倒くさい。月経をそう思ってしまうと、「これから面倒でイヤなものを、ずっと抱えて生きていかなくてはならない」という思考になる。特に、学力や知的思考力が高い子ほど、コントロールできないことを嫌う傾向がありますね。
T 月経は、「恥ずかしい、汚い、はしたない」といった〝恥〟のワードで語られてきたじゃない。これは無意識のうちに女性が自分自身の存在を〝恥〟と感じるフィルターを作り上げてきたと思う。実穂子さんの話にあった、女子生徒が初潮を境に自分のことをポジティブにとらえられなくなる、という心情とも、深くつながっているんじゃないかと思います。
初潮は、女性の身体が子どもを産めるようになったということだけれど、具体的に性を教わっていない中学生前後で、身体の野生のほうが〝勝手に〟目覚める。このことが問題を生まないわけがないよね。
でも、自身のフィルターを通してしか性を見られないまわりの大人たちは、問題の本質に気づけない。子ども自身も初めて体験することだから、言語化は困難でしょう。
思春期の男の子たちは、どんな感じ?
奥 男子生徒たちとは、直接的な夢精の話をするわけではないんだけれど、中学生は、やっぱり女の子と同じようなことを語ります。
「小学校の頃の自分は、もっとちゃんとしていたし、やる気もあった。なのに中学生になってから何だかダルくて、身体が思うように動かない」と。ほとんどの男の子が、異口同音に同じことを言うんですよね。
「ボディポジティブ」にはなりにくい学校の性教育
T 日本の公的な性教育は、世界のスタンダードから著しく遅れているといわれて久しいよね。知り合いにボランティアセンターの人がいて、福祉関係の人たちに、この絵本を勧めてくれたの。「ボディポジティブ」という概念や「まず自分を愛する」という性教育には賛同してくれた人たちが、絵本を開いたら固まってしまったって(笑)。考え方としては受け入れられても、具体的な教育ツールを目の当たりにすると、二の足を踏んでしまうのね。
先入観のない子どもは素直に受け取るのに、色眼鏡をかけた大人のほうがビビってしまう。大人の色眼鏡には、それぞれ、これまでの各自の性体験やイメージ、すり込まれた考え方などが投影されているから、そのフィルターを通してしか、性に向き合えない。その人個人の価値観が反映されてしまうのが、性教育の難しいところなんです。
これは学校の先生も同じ。先生個人の価値観のフィルターを通してしまうし、さらに、学校の先進的な性教育が過去に潰されてしまった経緯も影響している。
奥 私が担当している小中学校でも、基本的には文科省の保健の教科書に沿った性教育しか行っていない。ただ先日、もう少し突っ込んだ内容が必要ということで、子どもの性教育の研修会が行われたので、私も参加してみたの。
小学生なら「プライベートゾーンは他人に見せない、触らせない」、ただ中学生からはSNSの注意点など、性教育というよりは、性犯罪に遭わないための安全教育の要素が強くなっていた。それでも、性教育を少しでも現状に即したものにしないと、という現場の先生たちの危機感は伝わりましたけど。
でも、じゃあどうしたらいいか、先生たちも暗中模索している印象。「性教育」というと保護者や周囲が過敏になるので、「命の教育」などと言い換えるケースも目立ちますね。
T でも、プライベートゾーン=生殖器を「他人に見せちゃいけない、触らせちゃいけない」、つまり「妊娠するな、させるな」と言われ続けて成長した子どもたちが、年頃になると突然、「結婚しろ、子どもを作れ」って世間から言われるわけでしょう。そこに至る脈絡を、子どもは自分自身で見つけて、むりやり整合させなければならない。
本当は、そこにこそ大人がサポートできる余地があると思う。自分自身の体験を、色眼鏡のフィルターを外して客観的に見れば、本当は伝えたいメッセージが必ずあるはずなんだよね。
たとえば、いま大変な苦労をして不妊治療を続けている人も多いでしょう。もちろん女性がバリバリ仕事をすることは大事なんだけれど、女性の生殖には残念だけど期限があって、子どもを持ちたいなら、女性は人生のロードマップを描いておく必要がある。そういうことに向き合う時間を、特に女の子が十分に取れるようにしてあげないといけないと思う。
でも、そのための施策も学びの機会も与えず、ただ若い人に「子どもを産めば10万円あげるよ」などと言っているのが、今の日本の現状です。
役割から下りて、自分を開示する
T そんな日本に生きる10代と日々、接している実穂子さんは、性にまつわる子どもたちのデリケートな問題も、たくさん扱ってきたと思う。どんなふうに対応しているのか、守秘義務に反しない範囲で教えてもらえない?
奥 なかなか難しいですね(笑)。対応のハードルが高いのは、やはり女の子の妊娠。それから、年上の男性と付き合っているけれど、対等な関係ではなくて投げやりになっているケースとか。
そういう子は、どこかで自分のためにならないことをわかっていても、別れられないことが多いの。月経痛が重くて、そんな自分の女性性をネガティブにとらえていたり、精神的に荒れていて、自分を大切にできていなかったりもする。
客観的に見て、これは男性に利用されているだけの無茶な関係だと思っても、私は「別れたほうがいい」などは言わないようにしている。それは女の子自身もわかっていることだから。代わりにするのは自分の話。私もこれまでいくつかの恋愛をしてきて、セックスにも、良い思い出もあれば、悪い思い出もある——という話を、けっこう赤裸々にしますね(笑)。
ただの女子バナと違うのは、そうした経験を積んだ自分が、いま恋愛やセックスにおいて大事だなと思うようになったことを伝えていること。「自分がイヤだと思うことや、自分が大事にされていない感覚を受け入れてしまうのは、違うと思ってるんだよね」というように。
すると、私の話を興味しんしんに聴いた彼女たちは、自然と自分で考えるようになって変化する。「このあいだ彼から連絡がきたんだけど、会うの断ったんだ」と自慢げに報告してくれたりして。そのうちに精神的に前向きになって明るくなる子も多い。
T たぶん、そういうときの実穂子さんは、先生とかカウンセラーとかの枠を超えて、ひとりの女として女子生徒に向き合っているんだよね。
少なくとも性に関する話は、役割のなかから発言しても、子どもたちに響かない。実穂子さんは役から降りて、生身の女性である自分を差し出した。他者、特に権威のある大人からそういう扱いを受けた経験は、人間としての自信につながる。だから子どもたちも真剣に応えた。
奥 私が自分の体験をオープンに話したとき、「私、本当はこういう話を親としたかったんだよね」と言った子もいるの。私は「お母さんは、なかなかしにくいよ」とフォローしたけどね(笑)。
T 親が親という役割を下りて、ひとりの人間として子どもと向き合うには、やっぱり精神的なスペースが必要。だから子どもより先に親の教育が必要なんだと、ずっと言ってるんだけどね。
初潮は、古代では女の子のイニシエーション、大人への通過儀礼のようなものだったかもしれない。私自身も、いきなり荒野に投げ出されたように感じたもの。ここからは私の勝手な妄想だけれど(笑)、親はシャーマン、大人への方向性は示してあげるけれど、荒野を探検するのはイニシエーションを経た子ども自身なのよ。
だから初潮後の子どもは、本当は子どもじゃなくて、大人として扱わないといけないんじゃないか。そう私は少し思っているの。そんな考え方は、世の中に受け入れられないんだけどね。
それにしても、実穂子さんのように自分を開示して差し出す行為は、相手の女子生徒に対する信頼がないと、できないことだよね。でも、そうしないと本当の信頼関係は結べない。だって、これはある意味「秘密を共有する」ということで、秘密を打ち明けられた子どもは、実穂子さんという人間からの信頼を感じるし、信頼されれば自分も相手を信頼するでしょう。
親がそれをするのは逆に荷が重いかもしれない。高校生年代の親である中年夫婦の多くがセックスレスでしょうし(笑)。自分の性経験を赤裸々に語るには、やっぱり、自分の生き方を正直に振り返ることが必要だから。
性教育って、どう生きるかの教育、ひいては幸せになるための教育なんだと思う。だから本当は、大人がいかに自分と向き合えるかが最大にして唯一のポイント。子どもはフィルターがかかっていないんだから、大人が自分のフィルターに気づいて、フィルターの向こうにある素顔をさらさないと。
奥 こういう相談が来た当初は、私も「女性の身体は」とか、「自分を大事にするってことは」ということを、何とか伝えなければと考えて、関連する文献を読み込んだりしたんです。でも生徒と話をするうちに、ああ、これは倫理とか生物学とか一般的な話をするのは、違うなと気づいた。
今の子どもたちは、本当にインターネットが日常になっているの。その意味では、子どもの親たちの世代とも私自身の世代とも、まったく違う。ネッ友(ネットでしか交流しない友だち)とリア友(リアルの友だち)という言葉があって、どちらかというと秘密を打ち明けるのは前者が多い。「リア友には言えないけど、ネッ友には話したんだ」とかね。「リアルな友だちは仲が良くても心底、信頼し合うのは難しい」というようなことを言う子もいる。そういう傾向が、ここ4、5年で強まっているように感じます。
リア友と性の話をすることは、子どもたちにとって、私たちには想像もつかないほどハードルが高いのかもしれない。
性ホルモンが心身に何を引き起こすか
T だから実穂子さんのような存在は、いま子どもにとって貴重なんでしょうね。子どもから相談を受けるときには、どんなことに気をつけているの? アドバイスや、ましてやお説教なんかしないでしょう? ただ聴くの?
奥 うーん、そうね…。話を聴いていって、その子の問題を整理してあげることはするかな。あ、ここが引っかかっているのかな?とか、聴いていると、こういう共通点がありそうだけど、どう?とか。
そうすると、「たしかにそうかも。それがイヤだったんだ」とか、「ああ、私にとってはそれが大事なんだ」と、話を整理してあげると解決策はおのずと出てくることが多いの。もちろん、こんなアイデアもあるよ、という助言をすることはあるけれど、それは種のようなもの。結局は本人が種を選択して育てないと、問題解決には至らない。
T 本当に、自分の悩みって限りなく自分と同化しているから、当たり前のことも見えなくなるんだよね。そこを客観的に見えるように支援してあげれば、子どもは自分で答えを出せるし、物事をどうとらえたらいいかというヒントも得られる。
だけど、この客観化って実は、訓練を受けていない普通の大人には難しいのよ。
奥 私は生徒の保護者と話すこともあるんだけど、子どもとの向き合い方がわからない、怖い、と話す親が多いの。聴いていくと、子どもに自分の弱い部分やダメな部分を見せてはいけないという思いが強い。本当は、親がネガティブな部分を含めた自分で子どもと向き合えば、子どもとの関係が大きく変わるんじゃないかと感じるし、いつもそう答えるんだけど、そこが難しいみたい。
それから、「親としてどうあるべきですか?」という質問も、とても多い。
T まさに親という役割をうまくこなそうとする発言。役割の中からしか、子どもと向き合えていないのね。
奥 正解はないし、ぶつかってもいいし失敗してもいいんですよ、とにかく向き合いましょうよと、結局は、そういうことを伝えるしかない。思春期の子どものパワーはものすごいから、「べき論」なんて通じないし。
T そう、正論ばかり言ってたら大人を信用しなくなる。私自身がそうだったし。
私は、「性を理解する」には3つの側面があると思うの。1つは生物学的な性、2つめは心の性、3つめが社会や世間の中での性。だけど現在は、1つめの生物学的な、バイオロジカルな性が無視されているんじゃないかと思う。生物としての私たちの性は、どうなっているのかという話題が欠落している。
性ホルモンが私たちの身体の中で、どんな時期にどんな働きをして、それが身体や心にどんな影響となって出てくるのかということ。たとえば思春期のいろんな問題には、第二次性徴期のホルモンの力が大きく関わっている。これを教育で何とかしようとしても、たぶんムリなんですよ。
性は本来、生きることであって、幸せに直結するもの。だから人間は、生殖器の刺激やセックスによって快楽を得るのよね。
だけど今の性教育では、思春期の子どもたちに快楽なんて教えない。ということは、快楽は「感じてはいけないもの」になり、生きる喜びを感じることにもリミッターがかかってしまう。
性教育って本当は、人間にはこんな喜びがあるんだよ、生きることに幸せを感じていいんだよと教える、とてもシンプルなものだと思うんです。
(了)