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Column

対談

なぜ、ボディポジティブが必要なの?〜 子育てと教育の現場から2

〔助産師:瀧 麻奈美さんとの対談〕

ー 子育てと教育の現場から2 ー

赤ちゃんから小学生、高校生まで「発達」から子どもと親のケアにとり組む

瀧 麻奈美(たき まなみ)さん

助産師・看護師・鍼灸師


 

2代続けて助産師の家に生まれ、自身も助産師に。東京の病院勤務を経て結婚を機に千葉で出張助産師として開業。

水中出産やアクティブバースなどの自然出産がさかんになる中、約20年にわたって自宅出産に携わる。

すばらしい経験の一方で自宅出産に理解のある医師が少なく、医療との連携に苦労し、産後のケアを活動の中心に切り替える。

2021年、故郷の長野県へ移り、あさなみ助産院(長野県伊那市)を開業。

出張助産師として母乳、産後ケアなどを行うほか、里親事業、小学生の放課後事業に看護師としてかかわり、乳幼児から10代まで幅広い年代の子どもたちの発達と、その親のケアにとり組んでいる。

 

いま生きづらい子どもが増えているのは、
「自分の身体を獲得」できていないからかもしれない

Tarika(以下T) 麻奈美さんは、今も助産師としてお産を扱っているの?


瀧 麻奈美さん(以下 瀧) ほとんどお産はないわね。実際、今はお産より、生まれた後の子どもと親のケアのほうが、ずっと求められている感じ。

1年ほど前、助産師の雑誌で「ディベロップメンタル・プログラム(DP)」というものを知ったの。ドイツ人の小児科医と理学療法士のウェルニッケ夫妻が考案したもので、簡単にいうと、子どもの身体へのディーププレス(深い圧)で脳の発達をうながしたり、身体能力や眠っていた感覚を呼び起こすボディタッチ法。30年以上かけて欧州を中心に広がったらしいけれど、テクニックのベースは日本の「指圧」なんだそうです。


T へえ、面白いね。


瀧 それで、まずはベビーマッサージで有名な京都の助産師、カーティー倫子さんが開催した助産師向けのDPセミナーに参加。それから、私は鍼灸師の資格も持っているので、鍼灸師向けのセミナーにも行って、そこで「小児はり」を進める熱心な鍼灸師のグループとも出会ったの。小児はりは江戸時代からある技法だけれど、最近は発達障害の改善にも用いられているらしいです。


 自分の助産師としての経験と、こうした活動で学んだことを合わせると、今の子どもをめぐるさまざまなことが自分の中で結びついてきた。いま子どもの発達障害が増えているといわれるけれど、乳幼児期に、お母さん、お父さんを含めた他者との刺激を通じて自分の身体を「ちゃんと感じる」ことを、くり返し行うのって、本当に必要なの。どこが手で、足で、どこまでが自分の身体で…ということを、歩く前までに認識する。それも、子どもが自分自身で見つけていくこと。


 生きづらい子どもたちが増えている背景に、子どもが「自分の身体を獲得する」ことが、きちんとできていない状況があるんじゃないか。それをすごく感じるんです。


〝立っち〟までの10ヵ月で、人生の重要な対処法を学ぶ

 お産の場では無痛分娩が、とても多くなっている。お産の痛みを軽減して恐怖を和らげることは、人によってはメリットのほうが大きいかもしれない。その一方で、自分の身体の中で赤ちゃんという〝異物〟を育んで、それを自分の力で産み出す経験=痛みを弱めることには、危惧もある。出産を通じた「お母さん自身の身体の獲得」が弱まるんじゃないか、と感じるからです。


 長野へ来てあらためて感じたんだけど、子育てって、すごく〝スペース〟が必要。赤ちゃんは寝返りからハイハイ、つかまり立ちをして、歩き始めれば足をドンドンと床に打ち付けるし、幼児になれば走り回る。大声で泣きもするから、近隣に気兼ねしないで済む広いスペースがないと、子どもを育てる人たちは苦しいし、それが伝わって、子どもも息苦しくなる。


T 特に都会で子育てするのは、本当に苦しいよね。家の中だけじゃなく、公園や広場も禁止事項が並んだ貼り紙だらけ。社会に規制が多すぎる。


 私が手伝っている里親ファミリーは、野菜を作って自給自足に近い生活を送りながら、いま1歳から高校生まで5人の里子を引き取って育てているの。子どもたちは興味を持つものも一人ひとり違うけれど、自由に動き回れる安全なスペースがあれば、自分で遊びを見つける。幼児は穴に何かを出し入れしたり、大人からすると何が面白いんだろうと思うことを夢中でやっている。

 その様子を見ていると、脳の中でいろんな回路がスパークしてつながっていくのが、よくわかるんです。


 小学生の放課後教室では、胃ろうや気管切開などで医療的ケアの必要な子どもに手足や脊椎、足の裏などのマッサージを続けると、脳の発達がうながされて、それまでできなかったことが、できるようになることもある。

 カッとなりやすいとか、集中できないとか、いろんな特徴を持った子も、手をマッサージしてあげると喜ぶの。手を触るだけで「すごい気持ちいい〜」と喜んだり、「もっとギュッとしてて」と甘えたり、抱っこされたまま宿題したがったり。そういう子どもたちを見ていると、なかなか自分の想いを表現できなくて、つい手が出たりするのかもしれないと感じます。


 これには「愛着形成」の問題もあるけれど、根本的には、自分の身体を「知る」積み重ねが、できていないことがある。自分の身体の範囲を知らないから、手を出して容易に他者の身体の範囲に入ってしまう。身体の範囲を知らないと、自分と他者の身体に敬意を払うことも、できないんです。


T 「自分の身体を知る」のは、赤ちゃんの頃からの積み重ねだよね?


 そう。羊水の中に浮かんでいた赤ちゃんは、外界に出て重力にさらされると、最初は自分の身体をどう動かしていいかわからない。帰還した宇宙飛行士が、しばらくは立ち上がることも歩くこともままならないのと同じです。

 原始的な反応で手足をバタバタ動かすうちに、手が口に当たって、これは何だろうと舐めまわして、そのうち指の動かし方がわかって、やがて近くにあるモノをつかめるようになる。そこまででも、ものすごい試行錯誤の連続。発見して試行錯誤して達成感を得て…という積み重ねです。

 うまくいかなくてイライラする、という経験も大事。ある5ヵ月の赤ちゃんはイライラしたとき、畳を叩くことで自分を落ち着かせて、またトライするの。この世に生まれて5ヵ月で、すでに、うまくいかないときの乗り越え方を知っている。


T ああ、すごいね。


 10ヵ月前後でつかまり立ちを始める前に、床の上の世界でバタバタ動いて、やがて自分で寝返りを打って、うつ伏せの視界を発見して…という過程から、その子は人生の重要な対処法を学んでいる。子育てには、それを見守る時間的・空間的余裕が必須なんだけど、育児を手伝う人が他にいない「ワンオペ育児」は、どうしても便利なグッズに頼りたくなるよね。たとえば、首が据わる前の赤ちゃんを揺らして寝かしつけるバウンサー。それからバンボというベビーソファは、お座りができるようになる前の赤ちゃんを座らせるものなんだけど、こういうものがあると、たしかに助かる。

 でも、泣かせまいとずっと抱っこしていたり、バウンサーに乗せっぱなしにしたりすると、赤ちゃんが自分でいろんなことを獲得する機会が減ってしまう。


T それって、親たちの世代的な特徴もある?


 親が忙しいとか家が狭いというのは昔もあったけれど…ひとつ大きく違うと思うのが、スマホの存在。先日もベビーカーで散歩している父子を見かけたんだけど、お父さんの視線がずーっとスマホに釘付け。これだとベビーカーの中の赤ちゃんが、外の景色や風や匂いなんかに、どんな反応を示しているか親がわからない。


T そういうのを私たちは「今ここにいない」って呼んでいる。身体は一緒にいても、意識がいないのよね。


 放課後教室に、すぐ手が出る小学校低学年の子がいるんだけど、迎えに来たお母さんが私たちと離れて子どもを車に乗せたとたん、その子を座らせたまま「○○は××って言ったでしょ!どうして何度も言わせるの!」と、延々お説教している。子どもがトラブルを起こしがちでストレスが溜まるのは理解できるけれど、この子は、お母さんが変わらないと変われない。子どもに敬意が払われていないし、まず、子どもと〝関わって〟いない。


T スマホのお父さんも、異様に叱り続けるお母さんも、子どもを見てるんじゃなくて、自分自身の何かを満たそうとしているんだね。


人間をゴリラと分けるもの

T 私は、長年ゴリラの研究をしている京都大学の山際総長の動画が好きで、よく観るの。ゴリラは知能が高いけれど、何が一番人間と違うかというと、子ども時代の長さだそう。つまり〝遊ぶ時間〟の長さが人間に知性を与えている。時間だけじゃなく、どう遊ぶかで前頭葉の発達の仕方がまるで変わる。


 子ども時代の遊びって、手足や身体を使った遊びだよね。


T そうそう、それが脳を刺激する。だから世の中が便利になるほど、逆に人間は退化してしまう。

 麻奈美さんの話を聞いていると、私たちが〝身体を失っている〟という事実をひしひしと感じる。子育ても人間関係も、頭の中の妄想だけで進めてしまう。それじゃうまくいくわけがないんだけど、今の親世代も身体を失っている人が多いから、どうしていいかわからない。それが連鎖して、世代を経るごとに深刻になっている気がします。


 自分が欲するものがわからないから、相手のニーズも汲み取れない。先ほど言ったように、人間は最初に自分の身体の動きから自分を「知る」。何かが欲しいという欲求や挫折、達成感という感情の獲得も、まず身体を動かすことで始まるんです。


T 自分と他者との境界線(バウンダリー)も身体を通じて得るものだから、それが弱いと、人との距離感がうまくつかめなくて、生きづらさを感じることになるのかもしれない。

最近、ハイハイをあまりしないで立っちゃう子が多いそうだけど?


 それには便利グッズの影響もあるかもしれない。両手両足をバランスよく使うハイハイの運動量たるや、ものすごいのよ。これが身体能力だけでなく脳の発達にも大きく貢献する。


 ハイハイで両手を動かすことは、噛む、飲み込む、発声するなど、口の動きをつかさどる神経や筋肉の発達にもつながるの。腕は顎や口に近いから。ハイハイを飛ばしてしまうと、上手に食べられないとか、発語が遅いなどの心配も出てくる。そのくらい重要なんです。


T 水の中の魚類から人間になっていく進化の過程を、乳幼児の段階でちゃんと踏まないとダメなんだね。途中をすっ飛ばしてはいけない。


 そう。でも、もし飛ばしちゃっても少し戻って獲得することはできるので、過度に不安がらないでほしい。トンネルをくぐったり滑り台をのぼったり、遊びの中でたくさん手足を動かせばいいんです。


T でも親がハイハイの重要性を知らないと、そういう遊びが大事だとわからない。


 私も発達の勉強をして重要性を認識したくらいだからね。それで、こういうことをお母さん、お父さんたちに伝える活動をしたいと思って長野に来たんだけど、それ以前に、子育て中の親が神経を病んでいるケースが、ものすごく多い現実に直面したんです。預かる子どもの送り迎え時に、お母さんが真っ暗な部屋の中で一日中、寝ているとか。とても、そんな話はできない。


T お父さんは何をやっているの?


 そういう人はシングルマザーだったりするし、シングルじゃなくても夫が非協力的だったり。全般的に、男性の育児に対する意識の薄さを感じることが多い。


T 男性の親は何を教えてきたんだ…!?って思っちゃうわね。世間に合う形で生きる術は教えても、ゴリラと人間を分ける一番大事な部分、バウンダリーとか、自分と他者を敬うとか、そこのところの教育が抜けているとしか思えない。

 人間は、たとえば生殖器から上がってきたエネルギーを脳で受け取ってエクスタシーを感じるように、身体から発生したエネルギーを脳で認識する。それをうまく受け取れないのは、私たちの理論でいうと、心のトラウマとか、腸内環境の悪さとか、筋肉や関節のこわばりなどにブロックされているからなの。


 ブロックされると、どんなことが起きるの?


T 心(ハート)がブロックしているケースが多いのだけれど、ハートは手に近いでしょ。ハートのエネルギーは本来、愛とか喜びを生み出すものだけれど、ブロックされると、愛や喜びの裏面である暴力性が出てきたりする。それでも、暴力性な側面が自分の中にあることを認められれば、エネルギーをコントロールできるんだけど、認めないと、それが影として人生を左右してしまう。


 最近、トラウマの勉強をする中で「ポリヴェーガル理論」というものを知ったの。

 人間の副交感神経系は進化の過程で2つに枝分かれして、1つが他者と話し合ってわかり合おうとする「腹側迷走神経系」、もう1つが、攻撃されたときに究極の生き残り術として身体を凍りつかせる「背側迷走神経系」。性被害に遭ったとき抵抗できないのは、後者の神経系が働くからで、被害者の落ち度ではなく正常な反応という理論です。さらに私が思ったのは、人はお腹側、つまり身体の前面で人と交流する一方で、身体の背面にある神経系でエネルギーをブロックするんだなということ。


 ブロックを外していくには、対面して話し合うことも役立つけれど、根本的には、身体に働きかけることが必要なんだと思う。小さな振動を身体に伝えるとか、骨や関節のこわばりをほぐしていくとか。


 麻奈美さんの話でもわかったように、まず「自分が自分の身体の中に住んでいる」という感覚を持たないと、自分自身のケアもできないし、他者と関わることも難しくなる。


ブロックを外すことで、大人も自分と他者の身体に出会う

 赤ちゃんの様子を見ながら、あ、この子は今こうしたいのかな?こうすると喜ぶかな?と試行錯誤してほしい。幼児が駆け寄ってきたら、何か不安だったのかなと想像して抱きしめて安心させてあげて、何かに驚いてこちらを見たら、一緒に驚いてあげる。表情をやり取りし、愛情をもって働きかけて、その反応に反応する。子どもが自分の身体を知って、その中身を育んでいくのは、そういう他者との交流のくり返しによってだけ。特別なテクニックは要らないんです。


 でも、スマホばかり見ている、マスクで顔を覆っている、ストレスから一方的に感情をぶつける、といった大人側の〝壁〟で、今それができにくくなっていることを強く感じます。


T 私は、人間には「安全に壊れる場」が必要だと思っている。

 喜怒哀楽を素直に出したり心のままに暴れたりできるスペースがないのは、大人も同じ。うちのワークショップが提供するのは、そういうスペースなの。自閉症や知的障がいを持った人たちを受け入れることもあるんだけれど、彼らのエネルギー量にはいつも驚かされる。ふだん一般人よりずっとエネルギーを抑圧させられているからこそ、「ここは安全に解放できる場」だとわかると、身体から脳への回路がすぐにつながるんです。


 子どもから大人まで、障がいのあるなしにかかわらず、ブロックを外して自分の身体を認識することと、それをコントロールすることを学ぶべき。


 私が見ている赤ちゃんの1人が、足を〝見つけた〟と同時に、おちんちんも発見してね。しかも、触るとちょっと気持ちいいと知ったわけ(笑)。お風呂のとき、ベビーバスの縁に片腕を乗せて気分良さそうにしていると思ったら、片手でおちんちんを触ってる(笑)。


いずれ、そういうことは人前ではやらないとか覚えていく必要があるけれど、まず人間は、こんな小さなときから自然に、身体や性器を触る心地よさを知っていくんだなと思った。


T そうなんだよね。だけど、親自身が自分の身体を知らなかったり、性器をネガティブにとらえていると、温かく見守ることができない。

 ワークショップでは、「心のままに躍る」なんて考えたこともなかった普通の人たちが、自分の関節を動かして!歩いて!躍って!と次々に言われて必死でやっているうちに、いつのまにか涙を流している。別に悲しいわけでも辛いわけでもないし、理由なんかないんだけれど、これはすごく大事なこと。身体のエネルギーの循環を体験して、その人の内面のどこかに火が付いた証。こちら側から見ていると、みんな表情や身体が輝き出すのが、よくわかるのよ。


 愛の出発点は、他人からもらうものじゃなく、まず自分自身を愛することなんだと実感する瞬間です。

 「ボディポジティブ」という概念は、元は、ぽっちゃりした女の子の過剰な痩身願望をなくす運動から生まれたんだけれど、この絵本の作者のメッセージは「自分の身体と自分をまるごと愛そう」ということ。子どもに、愛の出発点を伝えるのがボディポジティブなんだよね。


 誰の身体も、せっかくこの世に生まれた唯一無二のもの。もう本当に、大切にしたいし、大切にしてもらいたいと切に願います。


(了)


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