先週、こちらのリトリートに参加してきました。
「セクシュアル」「オーガズム」という刺激的なキーワードから連想される、裸になって触り合うというような海外動画でみるセックス教団的なそれとは全く異なり、早朝から飛んだり跳ねたり踊ったりと心拍数爆上がりなものを含む、様々なスタイルの瞑想を実践する、「修行」という言葉がぴったりという感じのものでした。
このリトリートでは、性エネルギーへの意識のほかに、徹底的に自分と向き合うことが要求されました。 本当は自分はこうありたいのにそれを封じ込めていないか、自分で自分に嘘をついていないか、自分以外のものに自分を形成されてしまっていないか、というような。 いままで色々なタイマッサージの研修を受けてきましたが、思うところあってFB上でそれを書くことは避けてきました。今後も書かないつもりです。
今回参加した研修については、参加者の安心安全確保上、守秘義務があるので具体的なことはお伝えできません。それでも、参加初日と参加最終日の自分では違う自分になったと実感することができて、それがとても嬉しく、そして素晴らしい体験だったので、具体的な話は避けた上で書いておこうと思います。
元々自己肯定感は高めではないですが、格段低いとも思っていませんでした。
ですが、研修中に起こったいろいろな出来事を通して、私は自分で自分を貶め、自分の価値を自らが下げていることに気付かされたのです。
具体的な内容に触れてしまうことを避けるため例え話で書いてみます。
私が黒人だとして、「黒人は白人に対してわきまえるべきである」という考えが、自分の意識しない深いところに埋め込まれていることに気づかされたのです。
私は自分が黒人であることについて、成長期にはそれなりに嫌な思いをしたり悲しい目にあったり悩んだことはありましたが、死にたいと思ったり、白人より劣っているとおもったことはありませんでした。今では来世も黒人に生まれたいとすら。
そんな私が、自分が卑屈になっていることに気が付きもしないほどにそれが内面化つまり人格の一部になってしまっていた。私は知らずのうちに、自分は自分で自分を貶めて生きてきた。その気づきのあと、いろんな白人たちが「君は純粋だと思う」「君は美しいとおもう」と声をかけてくれました。
以前の自分だと、「そう言ってくれるのは嬉しいけど自分はそういう人間ではないっす」と、せっかく頂いた言葉を捨ててしまっていたと思います。それは白人から気持ち悪がられたり憎悪されるのが怖くて、無意識下で「卑屈」「自虐」が内面化してしまっていたからだと、今ならわかります。
ですが、「修行」での学びと、参加者がくれた言葉のおかげで、今私は、自分には価値があり素晴らしい人間である、と思えています。
(A)